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我流を流れ一流へ合流

「インパークモチベーションシート」をつくりました。

TwitterをはじめとするSNSで利用できる「インパークモチベーションシート」なるものをつくりました。

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タグ #TDRmotivation と共に制作いたしましたので、使用方法や制作の意図について書いていきます。

 

1.ディズニー趣味はぶつかりやすい

東京ディズニーリゾートという場所には、様々なファンがいます。例えばアトラクションが好きであったり、ショーやパレード、キャラクターが好きであったり。歩くだけでいい人もいれば、めちゃめちゃアクティブな人もいたり。

それだけなら良いのですが、なかなか気の合う人が見つからなかったりすることもあります。時折「この人とはうまくやっていけないかも」と思ってしまう経験はありませんか?折角いっしょにパークに行っても、行きたい方角が真逆ではつまらないですよね。

また、時にはお互いに衝突する場面もあります。運営方針について話したり、キャラクターやダンサーの出演について考えたり、マナー問題を議論している時などには、自身がどのようなファンなのか明確な立場が重要であり、また、相手がどのようなファンなのかはっきり理解している必要があると思います。

「ディズニー」という括りでは同じファンでも、その楽しみ方は千差万別です。

 

2.ファンが互いに楽しみ方を共有する

「モチベーション」とは、物事に対する意識のことです。こうしよう、ああしようと思う原動力のことを指します。

東京ディズニーリゾート・モチベーションシートは、ファンの人々がどのような楽しみ方に重点を置き、どのようなイベントに心を躍らせているのかを一目で発見できるようなものを目指しています。

それによって、自身と同じディズニー趣味の仲間を集め、異なる趣味の人とも互いに歩み寄りながらパークを楽しめます。

 

3.自身のスタイルを提示する意味

実はこの取り組みは、ゲーム業界からきています。

元来ゲームというのは人と協力したり、対戦したりするものですから、人間と人間の関わりが生む競技な訳です。

ところが、一方は毎日、一方は月に2、3度しかプレイしないとなれば、実力差が如実に現れることになります。他にもいわゆる「ガチ勢」──ゲームに本気で取り組む人と、「エンジョイ勢」──プレイの巧さ下手さに関わらず楽しみたい人と、プレイスタイルにも大きな違いがあります。仮に波長の合う友達がいたとしても、毎週土曜日にしかプレイできないその友達と、毎週水曜日しか都合がつかないあなたでは、一緒にプレイすることはできません。

ですから、相手がどのような時間帯にどれくらいプレイしているのか、どのような「モチベーション」で楽しんでいるのかは重要なわけです。

そこで、ゲーム業界ではこのようなテンプレートに自身の腕前やプレイスタイルを記入する文化があります。

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これは東京ディズニーリゾートを楽しむ上でも必要な情報だということで、このようなテンプレートを作ることにしました。

 

4.具体的使用方法

具体的な記入の例。

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①上部に名前を記入します

②各部門ごとに自分が楽しむ時の楽しむ割合を記入します。

③棒グラフを塗ります。塗り方で分けても、塗る色で分けても良さそうです。下段に数字を書いておいたり、さらに下の箇条と色を合わせるともっと良いですね。

④コメントを書きます。ツイートに乗り切らない時などにどうぞ。

☆各部門の例

(1)インパークモチベーション

例えば……風景・ショーパレ・アトラク……などの、パークに行く目的そのもの。

(2)アトラクションモチベーション

例えば……雰囲気・スリル・乗り心地・短待ち時間……などの、アトラクションに求める要素。

(3)ショー&パレードモチベーション

例えば……衣装・ミキミニ・音楽……などの、ショーやパレードに求める要素。

(4)フードモチベーション

例えば……味・食べ歩き・インスタ映え……などの、レストランやワゴンで提供される食べ物の好み。具体的なメニュー名やレストラン名も良いかも。

(5)マイ・オウンモチベーション

中断「   」内に好きな言葉を当てはめて使う。

例えば……「写真撮影」のモチベ・「キャラグリ」のモチベ・「BGS考察」のモチベ……など、上記に留まらず自由に。

 

5.インパークモチベーションシートがデキルコト

このシートの活用でどのようなことが望めるでしょうか。

 

例1)「ディズニーが好き」な友達を作りパークに行ったとき、Aさんは「ショーやパレードが好き」で、Bさんは「アトラクションが好き」。どちらの性格を優先すべきだろうか?

→相手の好みを事前に把握できる。また、当日は相手の「インパークモチベーション」の割合に合わせて互いに妥協したりできる。

 

例2)「アトラクションが好き」な CさんとDさん。 タワー・オブ・テラーの120分待ちに並ぶ?並ばない?

→「アトラクションモチベーション」のBGSや待ち時間に関する情報が占める割合から判断できる。

 

例3)EさんとFさんはランド・シー共通年間パスポートを持っていて、ショーが好き。Eさんが観たいランドのショーと、Fさんが観たいシーのショーの時間が被った!別行動は避けたいが、どっちを観る?

→「ショー&パレードモチベーション」に占める趣向の割合から、妥協できないか考えられる。

 

例4)Twitterで新しいフードメニューについて議論勃興!GさんとHさんはお互いに相手の意見が理解できない!

→相手の「フードモチベーション」における各項目の割合を確認する。BGSが多ければコンセプトを重視した意見、価格の割合が高ければコスパ重視だと相手のスタンスがわかる。

 

6.質問など

過去にあった質問を随時掲載します。

Q.これであってるかな?

A.自由に使ってください。

 

〜〜〜

 

7.おわりに

フォロワーさんとの交流も良し、新たな友達探しもよし。固定ツイートに貼るも良し、名刺がわりに差し出すもよし。是非ご利用になってみてください。

「たみふるDの隙あらば持論語り会」要項

メモです。情報は変更の恐れあり。

⓪「たみふるDの隙あらば持論語り会」

「むずかしいオフ会」ナンバリングオフ会として第2回目。たみふるDが喋ったり、たみふるDと喋ったりする怒涛の2時間。「学問」と「エンターテイメント」の融合を目指すたみふる会心トーク劇。そんな大袈裟なモノじゃないです。

 

①開催について

○日時

2019/08/05〜07のうちいずれか一日

9:30〜11:30

○場所

埼玉県大宮市・JR大宮駅近辺。詳細未定。

○募集人数

10〜35人程度。

○参加費

上限500円。恐らくそうなることはない。人数が増えれば増えるほど、やすくなります。

 

②内容について

今回のコンセプトは「フルコース」。それも、イタリア料理のフルコースです。

サテ、たみふるDによるメニューですが、テーマは「教育と学問、エンターテイメントと学問」です。難しく聞こえますが、決してそう決めつけないで頂きたく思います。是非、気軽にお越しください。

【歓談会】

会場準備を兼ねた歓談です。会の始まる前の9:00〜9:30を予定しております。

1.アペリティーボ「本会につきまして」

本会開催の胸の内と、コース料理の歴史について軽くご紹介致します。

2.アンティパスト「ペルソナ5が面白すぎる件」

新作の登場、スマブラ参戦で改めて話題を呼ぶペルソナ5。その人気の秘密と、個人的な興味と考察についてお話ししながら「若者像」について考えます。

3.プリモ・ピアット「ディズニーと任天堂─針路は真逆だが行先は同じ世界企業」

世界的に有名になった「ディズニー」と「任天堂」。その根底にある精神と、各々の企業の本質について検討しながら、人気の秘密を探ります。

4.セコンド・ピアット「社会における権利と義務の逆転構造」

様々な形で、義務と権利の逆転が起きる世の中。それによって、日本は混乱の渦に巻き込まれています。戦後世界と現代を照合し、学習と教育の現場に足を踏み込みます。

5.コントルノ「エンタメ考察における『メタレベル』のススメ」

アニメ、漫画、ゲーム……日本が誇るクールジャパン文化は、実は「メタレベル」が高かった?たみふる独自規格の「メタレベル」について紹介しつつ、その意義を説きます。

6.フォルマッジョ「【再録】高校生は何故ディズニーキャストのモノマネをするのか」

むずかしいオフ会ナンバリング第1回の「僕の私のアトラク論」において発表したタイトルから、論理展開はそのままに一新したプレゼンテーション。

7.デザート「高校生から囁く」

これまで見てきた様々なエンターテイメントは、どのように関わっているのでしょうか。すべての総括として、そして、もしよろしければ聴いてくださる皆さんの明日のためにお話しします。

【歓談会】

会場片付けを兼ねて雑談をします。会の終わった11:30〜12:00を予定しております。そのまま退散です。

 

③気になった方は

こちらにご連絡を。

たみふるDの隙あらば自論語り会参加者集計

 

④過去の質問及び一問一答

Q.キャンセル料等ありますか?

A.ありません。

 

Q.予定がわかりませんが申し込んで良いですか?

A.行ける可能性が2、30%くらいから申し込めます。軽率にどうぞ。

 

Q.知り合いを連れて行っても良いですか?

Twitterアカウントをお持ちであれば可能です。申し込みリンクを送付してあげてください。

 

Q.参加費はどうなりますか?

A.ここではっきり断っておきます。たみふるDには一銭も入りません。会場費の捻出に使用し、プラスの派額が出たらたみふるDの交通費になります。

 

Q.何か贈り物を持って行っても良いですか?

A.えっ……くれるんですか……大きなものは避けて頂けると幸いです……いやほんとお気になさらず……。

 

Q.このQAでも解決しなかったのですが、どうすればよいですか?

A.Twitter@tamifuru_dまでご連絡ください。

 

Q.@tamifuru_dに連絡しても解決しなかったのですが、どうすればよいですか?

A.確定情報の少ないオフ会ですので、確定まで気長にお待ちください。決定時にはこちらから返信を致します。

問い:実写映画『ダンボ』は何がしたかったのか

はじめに

あまり内容がまとまってないけど、すいません。

 

近年の実写化ラッシュに拍車をかけるべく登場した、ティム・バートンによる『ダンボ』が伝えようとしていたメッセージは非常に濃厚なものであった。作品内の表現と合わせて考察していきたい。

※盛大なネタバレ有り。アニメ版『ダンボ』と大きく内容が異なるので注意。

※以下では1941年のアニメ映画『ダンボ』を「アニメダンボ」または「原作」、2019年の実写映画『ダンボ』を「実写ダンボ」または「本作」とする。

※以下では、企業としてのディズニーの呼称として「ディズニー」、ウォルトディズニー個人の名前として「ウォルト」を用いる。

 

大きく変更されたステージ

今作は、ウォルトの生きている1941年に公開された64分のアニメ映画『ダンボ』が原作。ティム・バートンが監督を務め2019年に公開された112分の実写CG映画である。

大きくストーリーに変化があったことは言うまでもない。上映時間が純粋に二倍になっているのだ。アニメだから出来た動物が主軸のストーリーは、主役の小象ダンボはそのままにサーカス団の姉弟による物語に変わっている。

父・フォルト・ファリアは戦場で片腕を失ったサーカスの元スター。帰還すると彼の馬が売り払われていて、代わりに象がいたため、その象の世話係になった。姉・ミリー・ファリアは科学者を志す少女だが、父の圧力で芸を覚えろと強制される。そして、弟と共にダンボが飛べることを発見する。弟・ジョー・ファリアは、話を聞いてくれない父にしょんぼりしている。彼らが母親を失っているのも大きなポイントだ。

一方で敵役として登場するのがV.A.ヴァンデヴァー。表向きは夢を謳っているが、言葉で取り繕っている化けの皮がはがれるとその本性は金の亡者である。空中ブランココレット・マーチャントもまた、彼の側にいながら彼に不信感を抱いている者の一人だ。

彼らは皆、今作の製作にあたり誕生したキャラクターである。(私の推しはヴァンデヴァーさんだ)

 

まず、普通に評価しよう

個人的に、今作の出来は非常に高かったと思う。物語の軸となる「親子の絆」が、ダンボとファリア一家各々の境遇と絶妙に噛み合っており、観ていて純粋に感動した。作品の映像も綺麗。

ティム・バートン色が有るか無いかは今作の評価の焦点だろうが、個人的には「あった」側につきたい。原作でダンボがお酒を飲んで幻覚を見るシーンは通称「ピンクエレファント」と呼ばれているが、サーカスの演目としてリアルに、気持ち悪く、そしてバートンらしく再現された。そしてラストシーン。「不可能を可能にする」という宣言とともに、ヴァンデヴァーが狂気に満ちて管制室を走り回る。機械の故障に構わず無理矢理に事を運ぼうとする盲目的な姿は、追い詰められた人間の有耶無耶が臭く表現されていて、これもまたバートンらしい描写のように思える。

今作内の象同士の関係などは人間的に描かれており「本物の象はそうするのか」という点において疑問が残るが、実写映画は最早それを気にしてはいけない領域まで到達したのだろう。「実際に起こり得ないことを実際に起こす」という意味合いでの実写映画として実績を残した。

 

「作品の変化」

大きなポイントのひとつは『シュガーラッシュ:オンライン』から続くこの流れで、これまでの作風を大きく改革したことにある。端的に言えば、冒頭に述べた通り、アニメダンボと内容も結末も大きく変化している点が大きい。

最大の特徴は「倫理観の変化」に対応したシーン。原作は20世紀前半のものであり、差別思想が栄え、動物の生存権軽視に抵抗がなかった時代だ。あからさまに、今作のエンディング及びダンボの最終的な境遇は「次のサーカスへ」から「森に返される」と変更された。その他にもシーンの厳選などが行われ、現代向けのダンボが完成したと言える。ミリー・ファリアが科学者の館(正式名称忘れた)で「女性科学者」を紹介するシーンの存在も大きい。1941年と比べ、順調とは言えずとも平等に向かいつつある女性権利について言及した上で、ウォルトが過去に厳しい性差別を行なっていたことも暗示させ、反省させる展開である。

近年のディズニーの流行りである「自立と解放」にテーマが一貫しているのが良いか悪いかというのも、評論家たちの考察の焦点となっているようだ。

加えて、表面的に読み取れる「悪質なプロパガンダ」としての役割を失いつつあることも大きい。

例のピンクエレファントのシーンについては、過去からプロパガンダ的であると指摘されてきた。原作ではダンボがお酒を飲んで幻覚を見て、そこから着想を得て空を飛べるようになる。これはお酒や薬物の存在を肯定する意見を大衆に広めるためなのではないか、と言われてきた。一方で今作では、科学を信じる少女による小さな「実験」で飛行能力に目覚めるという展開が用意された。象とファリア一家に関係性をつけるエピソードとして機能している以上ストーリーにも欠かせないし、悪質なプロパガンダとして十分に機能しているようには思えない。

 

「ウォルトディズニー批判?」

ディズニーという会社を創り上げた功績として、ウォルトはたしかに偉大な人間だが、近年のディズニーの迷走にはこの「ウォルトをどれほど重要視するか」という問題が深く関わっている。今作には大きなウォルト評価ターンがふたつある。

ひとつめはヴァンデヴァーの人柄である。ドリームランドという遊園地を使って、夢を人参にしながら金儲けをしたいというのは、反ディズニー層が持つウォルトの一般的なイメージと完全に一致する。ドリームランドで一際存在感を放つ“Rocket to the Moon”というローラーコースターがあるが、コースターではなくとも同名のアトラクションがディズニーランドに存在した。ミリー・ファリアが終盤駆け寄る科学者の館(正式名称忘れた)はカルーセルオブプログレスに酷似している。その他にも、ポスターを多用したエリア演出などはディズニーランドにイメージが近い。

そんな世界で、ヴァンデヴァーのモデルがウォルトじゃない!という風には考えづらいだろう。私個人にウォルトを批判する意思は一切ないものの、ヴァンデヴァーがウォルトの負の部分を集約した人物であることは見て取れる。

ふたつめが「Dの言葉遊び」だ。ウォルトディズニー彼即ちWalt Disneyは、頭文字にDを持つ。

今作にはDを使った皮肉な言葉遊びが2度現れた。ひとつめが、ダンボを乗せた車について。サーカス中にアクシデントが発生して現れるDEAR BABY JUMBO(みんなのジャンボ)→EAR BABY DUMBO(みみのダンボ)である。これによりダンボは笑われてしまうが、後に一連のアクシデントが「一応客は笑ってたじゃないか」と団長に評価されてサーカスに残ることになる。

もうひとつは映画終盤、例のヴァンデヴァーによる惨事が表現したDREAMLAND(夢の国)→REAMLAND(懲らしめの国)である。これはヴァンデヴァー彼自身の没落を正に意味しており、彼にとって利点はないものである。

 

「ティム=ウォルト=ダンボだった?」

実はティム・バートンは「最も好きなディズニーアニメーションは『ダンボ』」と明言していたりする。何故ならアニメダンボがティム・バートンの創作のベースになっていたからだ。

ティム・バートン監督が語る実写版『ダンボ』の難しさ「かなり試行錯誤した」 - 映画 Movie Walker

ティム・バートン監督と言えば、両手がハサミになっている人造人間の青年が少女に恋をする『シザー・ハンズ』(90)や、ハロウィンのカボチャ大王ジャック・スケリントンを主人公にした『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(93)をはじめ、ほとんどの作品で、異形の者や個性的なアウトサイダーたちを、愛すべきキャラクターとして描いてきた。だからこそ「自分自身が、ダンボのことをとてもよく理解できた」と述懐。

「周りからすれば他とは違うし、なんだかおかしいけど、その欠点を肯定的に捉えることで、美しいものとなる。そういった部分はダンボから非常にインスピレーションを受けたよ」。(記事より)

アニメダンボ、そしてダンボという象が正にティム・バートンの作品を形作っていたことがわかる。

更にこれに加え、実は「ティム・バートン彼自身がダンボ」なのである。

ティム・バートンが個性豊かなキャラクターを描き続ける理由とは?『ダンボ』 | cinemacafe.net

「私は“変わっている”というレッテルを貼られた。なぜなら子供なのに、モンスター映画が大好きだったせいだ。子供の時に感じた、自分は人とは違うという気持ちは決してなくならないものだ。それは一生ついて回る」(記事より)

彼が幼少期に、純粋な作品への興味からマイノリティ側へまわっていた事実がある。そして、彼自身もそれを源流に作品を作っている。

そして、ウォルト自身もまたダンボであると捉えることもできる(言い方が曖昧なのは全面的に重なるわけではないから)。世界初の長編カラーアニメーションとして知られる『白雪姫』製作時には「失敗したら経営がまずい」というほどの大金をつぎ込んでそれに賭けた。ディズニーランドをつくりたいという時も、金銭的問題の解決は難航していた。そして何より「やめておけ」と言われていた。誰もが出来ないと思うことを自分をバネにやってのける、彼もまたダンボとほんの少し重なる勇気が備わっていたのである。

 

ウォルト・ディズニーは本当に必要なのか?」

サテ、それでは改めて、実写ダンボから発せられた問いを整理してみることにする。ずばりそれは、「ウォルトディズニーは本当に必要なのか?」だ。

①から、今作が、アニメダンボに露わになったウォルトの負の部分を極力省いている点がわかる。③では、ティム・バートンが今作を描くにあたって彼の「擬象化」がダンボであるということがわかる。そして、最大のポイントは②である。これはティム・バートン(広義には現在のディズニー)からのウォルト像が如実に表れているはずだからである。

今作の「ウォルトディズニーは本当に必要なのか?」に対する答えはずばり「必要」である。

それは、この映画のメッセージが二層に分かれている点から読み取れる。

まず一面。Dが落ちたシーンの損得勘定だ。ダンボ=ティム・バートンにとってみれば、EAR DUMBO(みみのダンボ)は母親との関係を深刻にした問題であり、笑われる原因となったものだ。これでは彼が変わり者として笑われる境遇に変わりはない。もっとも、ここではDが落ちるか否かに関係なくダンボは不幸なのだが。また、ヴァンデヴァーにとってREAM LAND(懲らしめの国)という称号は屈辱そのものであるはず。

ここでは、ダンボは母親と離れた上でサーカスに拘束された。サーカス客は象を見に来たはずなのに不慮の事故に遭った。ヴァンデヴァーは自身のキャリアが粉々になった。ドリームランドの客は、業火を逃げ惑った。各人や大衆にとっては一見不幸なように見える。

ここで、二層目のメッセージ。それは、「ウォルトディズニーのパラドックス」によるもの。

“ディズニーの歴史”はどの程度重要か——ボブ・チェイペックが語る「ウォルトの思想」とは

現在、ディズニーでは「ウォルトディズニーの「歴史」マインドよりも「進化」マインドを優先」する意識が芽生えている。これこそがウォルトディズニーのパラドックスである。

確かに皆が不幸だった。だが長期的な目で見ればそうとは限らない。ダンボは空を飛ぶことができるようになり、群れの象達に認められた。サーカス客は、時系列こそ異なるものの空飛ぶ象の存在を知る。ドリームランドの客は彼のまやかしに騙されずに済んだ。ファリア家族やサーカス団員達も、サーカスとの向き合い方を見直して新たな道を踏み出した。

実は、D=ウォルトディズニーが落ちることで、損をしたのはヴァンデヴァー=ウォルトディズニーの負サイドだけである。

要約すると【ウォルトディズニーのマインドから飛び立つことで、ウォルトディズニーの負サイドを葬り去る】ことが、今作が出した声明なのだ。

 

「でもソレ、結果論ですよね?」

 

Dが落ちことによる問題や間の出来事を全て無視した「幸せ」であるべきことは指摘されて然るべきだろう。だが、この映画というのは別に結果論で良いのだ。何故ならディズニーによる「今後に対する声明」だから。結果論というのは結果が前提のストーリーな訳であるが、今作はディズニーにとっての幸せに向かう「予定」「針路」「筋道」「未来」を描いた映画であるため、ある種の未来年表のようなものである。

 

おわりに

いかがだっただろうか。今作の『ダンボ』が、ティム・バートンのこれまでの作品の核心に迫るストーリーであったことがわかった。そして同時に、私たちのディズニーとの関わり方を左右する重要な内容であるとも言える。

未来に夢を抱きつつ、ティム・バートンによる素晴らしいサーカスを楽しんでほしい。

「温故知新」のTDR35周年

ついにフィナーレも近づきつつある東京ディズニーリゾート(以下TDR)の35周年“Happiest Celebration”だが、この機会を利用してTDRはなにを伝えようとしていたのだろうか。このイベントにおける様々な出来事にたみふるDの解釈を織り交ぜて解剖していきたいと思う。

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セレブレーションストリートと名を変えたワールドバザール

皮肉な「ハピエスト」の称号

2013年に迎えたTDRの30周年のテーマが“The Happiness Year”であったことを受け、2018年の35周年では“Happy”の最上級“Happiest”をテーマにしたプロモーションが始まるが、この名前はなんとも皮肉なものだった。TDRはこの一年間、「決断」と「不慮の事故」に見舞われることになる。その一部を書き出してみよう。

①「ハピエストサプライズ」オタクは貰えない騒動

本イベントのポイントのひとつとして打ち出された「ハピエストサプライズ」は、本イベント期間の約一年間に訪れたゲストの中から合計で35万人にバッジがサプライズでプレゼントされ、ポップコーンの無料券やショーの鑑賞券、アトラクションのファストパスなどがついてくるというものだった。ところで、このバッジが渡される時にディズニーオタクをあからさまに避けたり、年パスの有無を聞くキャストが続出したというのである。

②「ハピエストサプライズ」不正入手問題

①の通りこの「ハピエストサプライズ」をもらえる人は完全に独断と偏見で選ばれていたわけだが、ここで一人で数十個もらうゲストと一向に貰えないゲストの差が露になった。その実態はキャストとの独自のコネによるものだったり、様々なタネがあったので、尚更炎上することになる。

③メニュー改悪問題

近年に続いて、パークをよく模したメニューが廃止・値上げ・実質的値上げに追い込まれた。バックグラウンドストーリーをよく理解しない新規メニューの登場などは一部ゲストを悲しませた。

④「キャストの対応悪化」問題

かねてより問題となっていた「ディズニーのバイトブラック説」に便乗して多くのキャストの対応悪化が進んでいた。ゲストがキャストから心無い対応をされたというのである。来園客をゲスト=賓客とするTDRにとっては由々しき事態となった。

⑤「アクターによる訴訟」問題

ついに、いわゆるキャラクターの着ぐるみの「中の人」が労働災害パワハラ問題を訴えてTDRを運営するオリエンタルランドに訴訟を起こした。ニュースでも広く取り上げられ、議論が巻き起こる。

⑥タワーオブテラー“アンリミテッド”が“アンリミテッドじゃない”問題

これまで行われてきたタワーオブテラーのスペシャルバージョン「レベル13」「シャドウオブシリキ」に続けて始まった「アンリミテッド」。そのウリはランダム落下で、キャッチコピーは「今度は何が起こるかわからない」「予測不能」といったものだった。蓋をあければ乗り場ごとに過去のバージョンを使い分けるだけだったのである。乗り場Cに至っては「レベル13」「シャドウオブシリキ」のどちらでもない通常バージョンだ。パーク内でティックトックなどのダンスアプリを撮影しようという試みも、多方面(なお自分含む)からバッシングを受けた。

⑦「ミッキー・ミニーのニュールック・ニューボイス」問題

ミッキーやミニーを着ぐるみとして捉え、その顔が変化するのではないかと危惧した人らが署名運動を行い始めた。2019/03/01現行のTDRの顔はTDRのみで用いられており、TDRが切り替えを行うと現行ルックは世界から消滅してしまうのだった。また、ミッキーの声優が変更になったことも話題を呼んだ。

⑧木箱撤去騒動

トゥーンタウンで遊び場として活躍していた木箱のプロップス(小物)がフォトスポットとして踏まれたり座られたりしていた問題が、木箱に囲いをつけるという形で停戦した。「撤去だ」と騒ぐ人々の声とは裏腹に、公式の見解は「改修」であった。

⑨工事多発問題

2019年にオープンするソアリンが東京ディズニーシーで、20年にオープンする美女と野獣をテーマにしたファンタジーランドエリアが東京ディズニーランドで工事されている。こうしたことが多く、TDRという夢の空間が侵されつつあるように感じたゲストも多かった。

 

「……もうやめて!とっくにTDRのライフはゼロよ!」

流石にこれくらいにしておこう。ともかくとして、この「ハピエスト」の称号が災いしてパークは様々なバッシングにシニカルに答える形となったのである。

 

「回顧」を謳ったセレブレーション

サテ、この35周年イベントの凄まじい点は過去のパークを売り物にしたということだ。

①セレブレーションツリー

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セレブレーションツリー

パークのオープンから現在までの流れを汲んだコスチュームのミッキーフィギュアがワールドバザールに展示された。自身のかつての思い出と重ね、感動した人も多いだろう。台座にはディズニーの仲間たちがデザインされている。

イッツ・ア・スモールワールドのリニューアルオープンf:id:tamifuru-d777:20190301084025j:image

1964年にニューヨークで行われた万国博覧会で、ウォルトディズニーが提供したアトラクションを、勇気有るリニューアル。現在は寧ろ世界のパークでもメジャーとなっている、ディズニーの仲間たちを取り入れたパワーアップを行った。

③魅力的なふたつのエンターテイメント

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ドリーミング・アップ!とCelebrate! Tokyo Disneyland

新たなエンターテイメントの登場はTDRを華やかにした。

現在行われているドリーミング・アップ!はフィナーレバージョンである。このパレードのテーマは「飛躍」であり、パレードのフロート(山車)デザイン時もふわふわと浮遊感の有るデザインが好まれている。過去のフロートとは一線を画す存在で、美しい。

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You Can Fly!

このパレードの最大の特徴は基本的に純粋なディズニー映画のキャラクターのみしか登場しないことではなかろうか。ピクサー映画に頼らないのだ。ウォルトディズニーの描いたピノキオやピーターパン、彼が懇願してついに映画化権を取得したくまのプーさんやメリーポピンズの仲間たちが登場する一方で、ウォルトの死後、第二の黄金期をリードした美女と野獣や、近年の話題作である塔の上のラプンツェルベイマックスのキャラクターが織り交ぜられている。

Celebrate! Tokyo Disneylandは、東京ディズニーランドが自身を売り物にショーをした良い例であり、歴史に名を残す名作だろうと思う。プロジェクションマッピングをメインに、パイロを撃ちまくり、レーザーと噴水とビームライトを上手く使用した「ナイトタイムスペクタキュラー」だ。ドリーミングアップと同様に、このショーも時代区分をはっきりとさせている。ジャックスパロウの現れる前のカリブの海賊や、開園時から不朽のトップを誇るホーンテッドマンションなどが登場する一方で、バズライトイヤーのアストロブラスターやリニューアルしたジャングルクルーズにも焦点を当てる。開園時から有るアトラクションと近年オープンしたアトラクションのコラボレーションも見ものだ。魅惑のチキルームは初代版と現行のスティッチ版を統合し、カントリーベア・シアターとビッグサンダーマウンテンも手を組んだ。1年すら公演せずにクローズとなるのは惜しいが、なんとも見事なショーであった。

④蒸気船マークトウェイン号の期間限定マッピング

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ハピエストな装いのマークトウェインさん

東京ディズニーランドにおいて、蒸気船マークトウェイン号は重要な役割を担っていた。東京ディズニーランドの象徴であったから、オープン時の広告にも使われている。なによりこの船の航行する河、「アメリカ河」には、アメリカに実在する「ミシシッピ河」の水が注ぎ込まれたのだ。ウォルトはこの蒸気船の名前をマークトウェインという作家の名前でからとるが、ウォルトが彼の本の愛読者であったからである。後にウォルトは彼の作品を映画化することになる。河沿いに有るトムソーヤ島も、マークトウェインの作品であり、同時にウォルトの作品からきている。

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乗船証明書の発行

「新たな時代」を告げるテーマソング

最後に、TDR35周年のテーマソングとして打ち出された“Brand New Day”について歌詞の一部をみてみよう。

 

This is your world, come play inside(ここはあなたの世界さ心で遊ぼう)

This is the story that we'll write(これは僕たちの書く物語さ)

There are your friends, they light the way(友達がいるだろう、道を教えてくれるさ)

A different adventure BRAND NEW DAY!(新たな冒険で新たな日を!)

These are the players, this your stage(君のステージさ彼らも役者だよ)

The thrill of a future bright a brave(未来へのわくわくと輝きと勇気)

The rush of a magic mem'ry made(そして思い出が創る魔法の数々)

The party that starts, we celebrate!(みんなで祝おうパーティーの始まりだ!)

So come on!(おいでよ!)

※歌詞の訳出は筆者

“Brand New Day”のサビからの一説。この歌詞の気になる一節がある。それが「君のステージさ、彼らも役者だよ」だが、この彼ら、歌詞ではtheseは誰のことを意味するのだろうか。無論「他のゲスト」とも取れるのだが、私はキャストであるように思えて仕方が無い。否、そもそも「君」すらキャストだとしたら?

www.tokyodisneyresort.jp

些か見にくいだろうが、東京ディズニーランドはグランドフィナーレのグッズデザインに「現在のパークから未来(美女と野獣エリア)への道」を採用している。ゲスト視点の歌詞「友達(=キャスト)がいるだろう、道を教えてくれるさ」にもとれるが、一方でキャスト視点の歌詞「未来へのわくわくと輝きと勇気、そして思い出を創る魔法の数々」を意味するとも取れる。思い返せば心で「遊ぶ」のは「君」即ちゲストだが、「物語を書く」のは「私たち」即ちゲストとキャストとも取れる。

This is your world, come play inside(ここはあなた=ゲストの世界さ心で遊ぼう)

This is the story that we'll write(これは僕たち=キャストとゲストの書く物語さ)

There are your friends, they light the way(友達=キャストがいるだろう、道を教えてくれるさ)

A different adventure BRAND NEW DAY!(新たな冒険=未来で新たな日を!)

These are the players, this your stage(君=キャストのステージさ彼らも役者だよ)

The thrill of a future bright a brave(未来へのわくわくと輝きと勇気)

The rush of a magic mem'ry made(そして思い出=ゲストの思い出が創る魔法の数々)

The party that starts, we celebrate!(みんな=キャストとゲストで祝おうパーティーの始まりだ!)

So come on!(おいでよ!)

※歌詞の訳出は筆者

「太字がゲスト視点」「下線がキャスト目線」である。じゃあ、どちらでもないものは?無論、東京ディズニーリゾート自身、或いはウォルト、或いはオリエンタルランド、或いはディズニーのキャラクターたち、とりわけミッキーマウスである。

youtu.be

「まいにちが、祝祭だ」のプロモーションでは、キャストとキャラクターが入り乱れて踊るシーンが続いている。ヴィランズも登場するのがにくい。はじめにミッキーが両手を広げて私たちを招き入れると、「キャスト」「ゲスト」「キャラクター」がひとつの空間に集う。みっつの世代が一緒に新たな時代を迎えることを望んでいたのだった。YouTubeの公式チャンネルでは、今まで以上に「キャスト」「裏方」に重きを置いている。人手不足などの露骨な問題を除けば、35周年のプロモーションとして最適だったのだ。

 

「ハプエストセレブレーション」と夢の国の幻想

不平を言いたいゲストがいる。悩むキャストがいる。生まれ変わるキャラクターがいる。そこに渦巻く諸問題はもはや夢の国と呼べるものではなかった(筆者はこの呼称が嫌いだが、敢えて用いる)。新たな時代に向けて、瓦解したTDRに変化をもたらしたい。過去のTDRに別れを告げたい。そんな思いがあったのではなかろうか。

ドリーミング・アップ!では過去のディズニー映画と現代のディズニー映画に二極化して大きな焦点を当てた。Celebrate! Tokyo Disneylandは、過去のアトラクションと共に間もなく去ろうとしている。お陰でキャッスルショーが帰ってくるのは皮肉なものだが。過去を彩った様々なプロップスも、35周年を機にまた見られなくなってしまう。

2011年、震災時の神対応で、TDRがぶつかることになった大きなハードルが「夢の国」という幻想を作り出したことはこれまでも伝えてきた。キャストに対する負担も増加の一途を辿っている。東京ディズニーリゾートは改悪されているのではない。それまでの幻想や期待に、キャストとゲストに対し正直に「ごめんね」と言いに来ただけなのだ。私たちが期待してきた「神聖視された場所」は今、着実に私たちに向かって歩み寄りを進めている。だけれど、すれ違ってしまった。生憎、私たちの頭がかたすぎた。心が不器用だった。素直に楽しめなかった。TDRは単なる夢の国じゃない。私たちみんなで作り上げていく、ファミリー・エンターテイメントなのだ。

「まいにちが、祝祭だ」。過去のTDRが私たちに残した最後の言葉のようにも思えるし、新時代を迎えたTDRの抱負にも思える。キャストたちは「まいにちが初演」という言葉の元に動いている。東京ディズニーリゾートが過去を顧みて、未来へ踏み出した今、私たちも過去の概念を過去のものとして、新たな形で東京ディズニーリゾートと出会わなくてはいけないのだろう。パークの改悪はいつも、ゲストから始まると私は思っている。言いたいこともある。文句も有る。

だけど私は、東京ディズニーリゾートと迎える新しい日が楽しみだ。

 

So Come On!

メリーポピンズ:リターンズ=ショー×言葉の綾

先日メリーポピンズの感想を述べたように、今回はメリーポピンズ:リターンズを鑑賞した。非常に見応えのある作品だったが、今回はこれを分析しながら、言語について説く。なお筆者はピクシブカクヨムといったサービスに小説を投稿している者で、文学を嗜む人間としての趣向についても織り交ぜることになる。

 

メリーポピンズ:リターンズ

ウォルトディズニーが切望してやっとのことで映画化したメリーポピンズが絶品であっただけでなく、続編となる今作もおおむね素晴らしい作品だった。小説の流れを汲みつつディズニーの魔法を織り交ぜ、さらに実写タイトルを半世紀ぶりに続編として作るなど、ハードルが高いにもほどがあるだろうが、上手く違和感のない仕上がりにしている。それだけでも上々というものだ。

今作はバートに代わりジャックという街灯に火を灯す職人男が語り手となる。主人公は前作で子供だったマイケルと彼の子供。そして帰って来たメリーポピンズ!舞台は世界恐慌のイギリスだ。

前作とは背景も時代も(作られた時代も、映画で描かれる時代も)異なるが、前作のマインドを香らせつつキャストや音楽を綺麗に一新している。アニメーションと実写を描き分けるポイントも見事だった。キャラクターも魅力的だし、エンディングも美しい。

……だけど、何か違う。

 

メリーポピンズ:リターンズの成分

ここで、本作の「成分」を分析してみる。それはずばり「ディズニーパークのショー」と「言葉の綾」なのではないか。

 

ディズニーのショーとメリーポピンズ・シリーズ

実は前作の感想をメモする際も、ディズニーのショー感というのに触れていた。前作では「歌と踊りで感情や状況を表現するシーン」と「まじで歌い踊るシーン」の描きわけがされている点について挙げていたが、今作では事情が異なる。

今作におけるディズニーのショー感というのはずばり「露骨なメッセージ性」と「キャラクターの露出(比喩だけどね)」にある。

無論それが悪いとは言わない。自身の気持ちをストレートに歌う歌というのが多いのは、ストーリーを音楽で語る上では重要なポイントだからだ。ディズニーのショーで度々用いられる手法でもある。

さらに、今作ではいわゆる「キー」のようなものは登場しない。例えば前作では「キー」といえる歌がいくつかある。幸せを象徴するシーンでの歌が辛いシーンでリプレイとして流れることで、感動をあおったりメッセージ性を暗喩したりしている。しかし今作ではそれが効果的とは言い難かった、或いはそもそもなかったのかもしれない。音楽は音楽である。「比喩ソング」と「ダンスソング」の描きわけが全く出来ていなかったわけじゃないが、それでも……なんか違うんだよなあ。

 

本作における「言葉の綾」

だが本作はそれでもメリーポピンズシリーズだ。「言葉」が重要な役割を果たすこと自体には変わりはない。物語のキーとなるアイテムも実は正に文字であるわけで、子供達から父親に受け渡される言葉もポイントだ。

もともとメリーポピンズシリーズは、前作から言葉を重んじてきた。時に自己暗示、時にメリーポピンズの教え、時に子供の本心。それは言い伝えとして、吐露として、歌詞として作品に表れている。

今作でも「言葉」というのが必要となるが、私が一番気になったのはここだった。

 

メリーポピンズ:リターンズは「みかたを変える」

私がどうしても気になった今作の違和感はすべて、私の中の「言葉の綾」から生まれたものだった。

端的には「見る」と「観る」、「聞く」と「聴く」。あるいは“see”と“watch”である。「そんなの使い分ける必要あるの?」と思われるかもしれないが、ここには大きな違いがあると思う。

「見る」という漢字は、物理的に目に入ってくることを指す。一方で「観る」とすれば「鑑賞」「観劇」「観察」などの言葉があがる。これらは自ら能動的に目を向けることを指す場合が多い。

さらに「聞く」「聴く」の中でも、「聴く」は鑑賞に近いニュアンスが有るのではなかろうか。耳、目、心といった文字が一堂に会していることからもその本質が伺える。

seeとwatchも同様に、日本語訳するとそれぞれ見ると観るに当てはまるのではないか。

前作の『メリーポピンズ』が我々にいろいろなことを想起させ、考えさせてくれる作品であったことを考慮すると、これは「観る」映画であったことが伺える。

一方でこの作品はエンターテイメントとしての側面をさらに拡充し、魅力的な映像美と音楽で「見せる」映画であったことは間違いないと思う。だから、観客を考えさせる映画とは少しばかり違ったのだ。

 

「観る」映画と「見る」映画

「じゃあ、リターンズは残念な映画だった?」という声が聞こえそうだが、決してそうとは言わない。私も正に同じ現象に陥ってしまった。そこには「観る」映画と「見る」映画の違いが如実に関わってくるからだ。

先ずは「観る」映画について話そう。過去のディズニー映画について、ハードボイルドでギャグ満載だが深層には生き方の熱いメッセージが脈々と流れる『ロジャーラビット』や、インターネットの世界の描写に徹したようでいて深いメッセージのある『シュガーラッシュ:オンライン』は本ブログでも紹介したが、列強海軍に強い復讐心を燃やすネモ船長という科学者が主人公の『海底二万哩』、様々な隠喩が垣間見え、現代社会のつらさを見事に洗い出した『モンスターズインク』、そして前作『メリーポピンズ』などがある。これらの映画は一見キャラクター人気を使ってごりおししているように思われるが、実は深刻なメッセージを訴えているという点で二面的に楽しめる。

ところが、これらの映画には決定的な問題がある。ストーリーをすんなり理解できなかった場合、つまり理解しかけているがイマイチよくわからないという層が膨らむ場合にぱっとしない映画になってしまうという点である。

一方で「見る」映画はどうだろうか。大人の世界と子供になる素晴らしさを説く『プーと大人になった僕』や、肉食動物と草食動物の構造が見事に差別社会を風刺した『ズートピア』、有名な楽曲をハイペースで排出したうえで真の愛のあり方を問うた『アナと雪の女王』、そして今回取り上げた『メリーポピンズ:リターンズ』などがある。これらの作品は、映像美やキャラクター性、楽曲の共感性、ストーリーのエンタメ性にこだわり、尚且つメッセージ性を露骨にしておくことで、観客に「映画みた感」を提供している。

このように言うと、これらの映画のファンの方には怒られてしまうかもしれないが、寧ろ私はこれらの作品も大好きである。これらの作品は見て楽しく、必ず外れないので万人受けする上、人気コンテンツと成り得るのである。

 

「良い」って結局何なのか

それではいい映画って何なのだろう。結局それは、個人の主観が混血した結果なのではないか。「素晴らしい」「良い」といった言葉は一見客観的に評価された結果に見えるが、過去の評価者の意見というものの上に成り立っているものと考えられる。

どうやら、この映画もそうらしかった。私はこれまで「観る」映画の虜にされてきたために、映画というのは「観る」ものだと思い込んでいた。そのためにこの映画には違和感ばかりが目に付いたのだ。ところがどうだろう、その足かせを外して改めて『メリーポピンズ:リターンズ』を思い返してみると、なんと見事な映画だろうか。ディズニーのショーとして非常に洗練されており、作家による小説をディズニー文化としてしっかりとモノにできている。音楽もシーンも全てが美しく、メリーポピンズの魔法も色褪せない。

 

おわりに

私たちは常に言葉に囲まれて生きている。その中には「どちらでもいいじゃん」と余りこだわらないものもあるだろうが、普段使う言葉を少し変えてみるだけで、世界というのは正にメリーポピンズの魔法にかけられたように様変わりするのではないだろうか。

【メモ】メリーポピンズ感想

メリーポピンズ・リターンズに向けて前作メリーポピンズを観賞。

率直に言って良くも悪くも「ディズニーらしい」映画。とはいえ「悪くも」とは言えど悪いところなんてほとんどなくて、非常に見応えのある作品だった。

○背景

「映画化権を勝ち取りたかった」の言葉に嘘なしのクオリティ。

○映像

思わず「どう撮ってるの?」と突っ込みたくなるシーンの連続で驚かされる。1960年代だから生まれた妙なミスマッチ感が余計にファンタジー感を香らせる。これが続編でも出せたら綺麗。アニメーションと実写を描き分けるというのも上手くいっていて、リアリティとアニメチックな表現を見事に使い分けられている。

○ストーリー

大筋は荒削りながら豪快な道筋で気持ちいい。各シーンのテンポもよく、違和感を違和感と思わせないシーンが多数。歌と踊りを多用したシーン展開も美しい。

○キャラクター

The・英国紳士のパパが強く、一貫した芯があるもののどこかコミカルで面白い。彼の仕事仲間である銀行の重鎮達も非常にたのしい。トップのドース・シニアとバートの役者が同じなのは気付かないって、まじで。

何よりメリーポピンズが素敵。綺麗なだけでなく、ユーモアがある。初めは厳密そうな面持ちで現れつつ、後半にかけて遊び心で畳み掛けるそのギャップでぞっこん間違いなし。

○ミュージカル

本作では「感情を歌と踊りで表現」したシーンと「まじで踊ってる」シーンが織り交ぜられているのが新しい。特にロンドンの屋根の上で踊るシーン。 煙突掃除の数もアクロバットも魅せ方も興奮させられるだけでなく、パートの掛け声やメリーポピンズのダンスで一緒に踊る姿は、ディズニーパークのショーにおける「参加パート」の原型を感じた。

 

おもしろかった。明日リターンズしてくる。

ソアリンが連れ帰った「東京ディズニーシー」

「イマジネーションや夢を見る力があれば、時空を超え、どこにでも行くことができる」

 

かの有名なカメリア・ファルコによる思想である。彼女のその経歴は、ファンタスティック・フライト・ミュージアムで確認できる。このファンタスティック・フライト・ミュージアムというのは、イタリアにあるポルトパラディーゾという港の丘の上に建てられたのだが……そもそもこんな港は、建物は存在していないし、カメリア・ファルコという女性もまた、史実には登場しない。いるのは単に、東京ディズニーシーという場所だ。

2019年7月23日、満を持して東京ディズニーシーへ降り立つ全く新しいソアリン「ソアリン:ファンタスティック・フライト」。このアトラクションはゲストを世界中へと連れ出すだけでなく、その先に眠る真なる東京ディズニーシーへと旅立つのだ。

 

○ソアリンの概要

https://www.tokyodisneyresort.jp/treasure/soaring/

(公式ホームページより)

 

○カメリア・ファルコという女性

ファンタスティック・フライト・ミュージアム(以下ミュージアム)で開催中の特別展示の中核に位置するのが、カメリアという女性だ。彼女は探検家組織S.E.A.に所属している。

彼女は公式ホームページ内で「飛行の研究に情熱を注ぎ、未来を夢見て努力し続けた女性」と紹介されている。この文言が起こすイメージにはとても大切なメッセージが込められていると思う。

 

○「飛行」

飛行器官を持つ動物や昆虫などとは異なり、人類は長い間彼らを指をくわえて見ていることしか叶わなかった。

有人飛行の歴史は18世紀まで遡ることになる。1783年にモンゴルフィエ兄弟が熱気球を用いて有人飛行を成功させたことから、様々な形式で飛行が実現している。1903年にライトフライヤー号で有人飛行をしたライト兄弟は有名だろう。

そもそも、遥か昔の時代から、度々神話で飛行がカギとなってきた。例えば、西遊記に登場するキン斗雲や千夜一夜物語に登場する魔法の絨毯などは、古い物語として飛行を扱った例だといえる。だがキン斗雲は本来人間には操ることの出来ないものであるし、魔法の絨毯は正に「魔法」として描かれている。これは聖書にすら描かれているらしいが、人類の歴史において、飛行の夢を語るものである。

16世紀頃にレオナルド・ダ・ヴィンチが鳥の飛翔に関する研究を描いたノートが発見されている。彼は空を飛ぶことを常に夢見ており、様々に飛行のためのマシンをスケッチして想像していたらしい。この様子は、東京ディズニーシーにおいて、ミュージアムの隣に位置することになるフォートレスでも見られる。ダ・ヴィンチの夢を受け継いだS.E.A.のメンバーがこれを完成させたのだ。

さらに、ミステリアスアイランドでも知られるジュール・ヴェルヌ1886年に『征服者ロビュール』という小説を刊行している。空気よりも軽い飛行物体である気球の愛好家のところに、空気よりも重い飛行物体である飛行機を操る男ロビュールが現れる。これは、ロビュールが彼らをさらって飛行機に乗せ、世界一周を目論む話である。ここでは既に飛行という夢自体は達成されているが、風に流される以外に移動方法を持たない気球に対して、世界各地を飛び回ることの出来る飛行機が登場する。

このように、飛行の歴史というのは遠い昔からつい最近まで追いかけられてくる。飛行の夢というのは、いつだって人類の希望だったのである。

 

○「東京ディズニーシー」のメッセージ

東京ディズニーシーがターゲットとしている層の中には、1970〜80年代に生まれ、経済が下向きになった1990年代に運悪くも多感な時期が重なった層がいる。彼らに向けて発せられたメッセージは「大人ディズニー」とカムフラージュして、しかし確実に発表されていた。

ここに「ポルト・パラディーゾ・ウォーターカーニバル」がある。このショーはいわゆる「昼のハーバーショー」として初代を務めた。

生で観ていないので大口を叩くことはできない。あくまで個人的にだが、このショーの見所は実は大してないのではないかと思う。内容はストーリーテラーの語りに依存し、同じ文言を繰り返すのも美しくない。イタリア語の曲の中に突如ぶち込まれた日本語歌詞は違和感抜群だし、サイケデリックな衣装を着たダンサーは数こそ多いものの何をするわけでもない。

……だが、それでも許せるほどの魅力がある。それは、東京ディズニーシー全体をフィールドとして使い、メディテレーニアンハーバーという(架空の)イタリアの港を正に表現したことだ。また、エモーショナルな語りとメロディで徹底的に魅せ、何をしてるでもなくとにかく「楽しい」と感じさせる実力である。

初期の東京ディズニーシーのショーを思い返してみれば、ミスティックリズムは何をしているか常に掴めないまま話が進行するし、アンコール!にはキャラクターは登場しなかった。アトモスフィアショーもよく把握できないまま乱立していた。

話をウォーターカーニバルに戻し、続いてショーのストーリーをおさらいしよう。とある美しい島の王女ダニエラ姫は海の向こうにパラダイスを夢見て、国の優秀な有志たちと共に海へ繰り出す。パラダイスが見つからずとうとう嵐に遭うと、船は壊れ、運び込まれた品々は四散してしまう。しかし、ダニエラ姫は海の上に浮かぶひとつのコンパスを見つける。島で運び込まれたもので、彼女の国に伝わる宝。伝えの通りコンパスを開くと、海の声が聞こえるのであった。「あなたにとって一番大切なものは?」「私にとって一番大切なものは、ここにいる仲間の安全と王国の未来です!」と答える。嵐が去っていくと、遠くにひとつの島が見つかった。それはパラダイス、同時に彼女の王国だった。無事帰ったダニエラ姫はここをパラダイスの港「ポルト・パラディーゾ」と名付けたのだった。

彼女の帰郷を祝うお祭りこそが「ポルト・パラディーゾ・ウォーターカーニバル」なのだが、ここに隠された深い意図に気付くだろうか。ずばり、このショーひいては東京ディズニーシーの伝えたいメッセージとは「故郷の素晴らしさ」「誰もが持つ夢の実現」だったのである。旅という非日常を語るパークがこのテーマを押し出すのは大きなパラドックスとも言える。

2016年、東京ディズニーシーの15周年を祝うクリスタル・ウィッシュ・ジャーニー。「お腹いっぱいご馳走食べたい!」「見たことのない世界をみたい!」「今日をいい日に!」ディズニーキャラクターたちの願う夢は、誰もが持つ夢であった。

アトラクションにも目を向けてみよう。東京ディズニーランドのビジョナリアムでジュールヴェルヌは「潜水艇か……私の夢が……実現したんだね……」と語る。後に海底2万マイルが東京ディズニーシーにオープンした。秘境の神殿を探検するのは誰もが思い描く光景だろうし、センターオブジアースは地球という私たちの惑星について伝えている。人魚の世界を夢見る女の子と、魔法を目の当たりにしたいと思う男の子。日本のパークに嵐撃退機であるストームライダーが生まれたのは、日々台風に苦しむ日本という国だったからこそとも捉えられないか。

東京ディズニーランドは「夢と魔法の王国」だが、これは例えるなら英語の仮定法文法で、「今は叶わないがいつか実現したい夢」を叶える場所なのだ。東京ディズニーシーが伝えるのは英語の直説法文法で、「身近に誰もが持つ憧れ」なのだと思う。

 

○「でも、つくりものでしょ?」

東京ディズニーリゾートを訪れる多くの人は、これを理解している。そう、東京ディズニーリゾートはつくりものなのだ。偽物。フェイク。見せかけ。だが、そこに大きな意味があると考えられないか。

例えば、その例に姫路城が挙げられる。姫路城とは名の知られた日本の城だが、実はこれもつくりものである。何故なら改築が繰り返され、最早、大元の城の原型は留めないからだ。平成に行われた修理ではボルトどめをして、カビ防止剤を撒き、耐震工事までした。果たして江戸時代初期にこんな技術があっただろうか?ないだろう。姫路城は偽物なのだ。

だが、それでは日本の城のファンには激怒されてしまうだろうし、多くの方から「それは筋違いじゃないか」と言われてしまう。無論私はこれを批判する気は無い。あくまで現代の技術で工事されたのは文化財としての補完が目的なわけで、そこに別段「現代的にしてみた」というようなニュアンスはないからだ。それに、多くの人はそんなことも気にせずに姫路城を楽しんでいる。

では、東京ディズニーリゾートはどうか。ここはたしかにほぼ全てが偽物である。特に東京ディズニーシーは実在の地名を声高に名乗るため、その意識は顕著だ。千葉県にニューヨークが存在できるはずもない。だが、ゲストは「つくりものではない」と無垢な子供のように信じ込むことでその世界をあたかもホンモノのように体感できる。

そしてそう、これを言い換えたマインドこそ「想像力」なのである。つくりものの枠を越え、想像力でそれをホンモノとして捉えるのである。東京ディズニーシーは客観的には偽物だ。だが、ひとりの、パークを楽しむ旅人から見れば紛れもなく本物なのだ。

 

○ソアリンが伝えるもの

兼ねてから人類の夢であった「飛行」。既に実現した現代だが、世界中を軽々しく飛び交うことはまだ叶わない。そんな世界で、東京ディズニーシーにやってきたファンタスティック・フライト・ミュージアム。カメリア・ファルコという女性は、私たちの心の奥底に眠るささやかな夢を叶えるために現れた女性なのである。

彼女の伝える夢は「空を飛び、世界中を旅すること」。そんな夢だが、東京ディズニーシーでは《物理的には》叶わない。「イマジネーション」によってそれを叶えるのである。

 

○おわりに

いかがだろうか。いよいよ東京ディズニーシーにソアリンがやってくる。「技術的に遅れていること」や「ゲストが好まないこと」は必ずしも問題ではない。東京ディズニーシーを愛する者の心に、ソアリンはついに飛び立つだろうと思う。