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ディズニーワイド考察「ディズニーランドの呪いを考える」

「ディズニーワイド考察」と大層に銘打っているのは、表題通り「ディズニーランドの呪いを考える」上で、ディズニー映画、パーク、アトラクション、社会に於ける活動を幅広く扱うためである。今後シリーズ化するかは不明だが、第一回のテーマに「ディズニーランドの呪いを考える」を挙げてみることにした。

 

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ウォルト・ディズニーといえば、アメリカのエンターテイメントの王様である。映画、アニメ、テレビ、テーマパークと幅広い展開が魅力的な彼の思想を紐解き、ディズニーランドがかけられつつある呪いについて、手の届く範囲から考察を仕掛けていこうというのが今回の試みである。実際のものと相違があるかもしれないが、一ファンの考察として楽しんでいただけたら幸いである。

 

Key Words

・ディズニー映画『トゥモローランド

・ディズニーランド「カリブの海賊

東京ディズニーランド「ビジョナリアム」

東京ディズニーシー「ソアリン:ファンタスティック・フライト」

・秘密結社「プルス・ウルトラ」

 

 

映画『トゥモローランド』の「現実世界」

監督・ブラッド・バードの話

2015年公開。監督はブラッド・バードピクサー作品『Mr.インクレディブル』『レミーのおいしいレストラン』などの監督である。今回は、ある程度内容を把握している前提で話を進める。

唐突ながら、私はブラッド・バードを「飴と鞭の映画監督」だと解釈している。『Mr.インクレディブル』では、スーパーヒーローという無条件に受け入れられてきた正義の存在そのものに疑問を投げかける。また、『レミーのおいしいレストラン』では、シェフを志すねずみという設定から始まり、「場違いでも夢を目指していいのか?」をテーマに話を進める。そして、「誰もが偉大な芸術家になれるわけではないが、誰が偉大な芸術家になっても可笑しくない」という表現を産み落とす。つまり、これまでディズニーが思い描いてきた夢物語を一蹴し、ひとつ俯瞰した形で物語を描くのである。

映画『トゥモローランド

映画『トゥモローランド』で、フランク・ウォーカーという青年は、1964年の万国博覧会を契機に、トゥモローランドへ足を踏み入れる。然し、地球の未来を予測できる「モニター」を生み出したことでトゥモローランドを追放される。数年が経ち、ケイシー・ニュートンという少女が現れる。彼女は星を見るのが好きで、トゥモローランドに魅せられる。そして、トゥモローランドを救うために奮闘する。

作品の中で描かれる様々はこのブラッド・バード的な飴と鞭によって表現されている。フランクやケイシーをトゥモローランドに誘うのはアテナという少女だが、彼女はフランクに「夢を見せる」。フランクはそれで様々な発明品を開発するが、モニターの一件で挫折を味わう。そして、トゥモローランドの総督で彼女の上司であるニックスに「お前が夢を与えたから挫折した」と迫られたらしい。次いで、ケイシーに「夢を見せる」。彼女はトゥモローランドに渇望するが、実際行くとそこはディストピアと化していて挫折する。こうしたシーンのコントラストは、一般の映画よりもより巧妙で印象的に描かれる。

トゥモローランドは隔離されていない

又、『トゥモローランド』最大の特徴は、その名前に反して、現実世界が主導で進んで行くことだ。アテナは、「夢を見る人」をリクルートして、Tomorrowlandの頭文字Tが刻まれたバッジをプレゼントして去っていく。夢を持つ人は、そのピンに触れるとトゥモローランドに行くことが出来るが、夢を諦めるとトゥモローランドは廃れ、見えなくなってしまう。フランクは一度、トゥモローランドを追放されて夢を持つことを諦めた。そして、トゥモローランドは衰退した。

現実世界に数人いる「夢を持ち続けられる人間」によって、トゥモローランドは存続している。アテナは、トゥモローランドを救うため、現実世界の人間に夢を与える。この映画の主題はひとつ「夢を持ち続けられるなら、誰でも夢の世界=トゥモローランドへ行ける」ことである。夢を持つのは楽じゃないし、叶うかもわからない。でも、「何でも出来る気がする」だけで、考え方は前向きになって、未来は変わるかも知れない。そういうことを伝えるのである。

それは、完全に隔離されているけれども、どこか繋がった世界である。現実世界から見ればトゥモローランド異世界であり、現実世界からトゥモローランドにワープする構造が出来上がっているのだ。そして、ワープできるのは選ばれし者=夢を見る者のみである。

きっと、誰にもトゥモローランドは用意されているんだろう。そこは、統合されたひとつの世界かも知れないし、誰かの心の中に各人が持っているものかも知れない。

 

アトラクション「カリブの海賊」の「歴史考証」

 

カリブの海賊」と「Yo Ho」問題

カリブの海賊」は、ディズニーランドに1967年に初めて登場したアトラクションでありながら、アトラクションとしてはウォルトの遺作のひとつである。19世紀のニューオーリンズを再現したエリア「ニューオーリンズ・スクエア」にあって、それでもってカリブ海を荒らしまわった海賊たちの様子が描かれていた。現在、ディズニー映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズが展開されているが、これは、アトラクションの設定を以て作られたいわば逆輸入映画であるため、オープン当初のものと直接関係はない。

このアトラクションのテーマ曲『Yo Ho』このアトラクションのために製作されたが、ここで問題があった。子供も多く訪れるのにも関わらず、侮蔑用語や性的虐待を表現する言葉が多数あったのだ。また、アトラクションの内容も、カリブの海賊達が町を襲って略奪と虐殺に興じる内容であり、これを楽観的な音楽で再現することには賛否が別れた。

ここには、ウォルトの考える「歴史を語るエンタメ」としての側面があると思う。

そもそも、アメリカのディズニーランドには「ホール・オブ・プレジデンツ」というアメリカ大統領が多数登場するアトラクションがある。また、「カリブの海賊」には、当時の歴史を描写しつつ、アトラクションとして簡単に摂取できるようにする目的がある。ディズニーランドに於いて、ディズニーランドとはあくまで夢の世界として隔離されているのではなく、現実世界と隣り合っているのである。

 

「ビジョナリアム」と「ソアリン:ファンタスティック・フライト」の共通項

美女を見るならビジョナリアム

「ビジョナリアム」とは、ディズニーランド・パリのオープンを記念して構成されたアトラクション「時間の旅」の日本版であり、マジックキングダムに設置された「タイムキーパー」の日本版である。内容の大きな違いには注目せず、此処では「ビジョナリアム」を引き合いに出す。

「ビジョナリアム」とは、空想家《ビジョナリー》のロボットであるタイムキーパーの手引きで、時間旅行を楽しむ、トゥモローランドのアトラクションである。東京ディズニーランドのパーク内からは外の景色が見えないように配慮されているにも関わらず、ここで旅行するのは現実の世界である。恐竜の前史時代、氷河期、ルネサンス、18世紀、そして1900年のパリ万国博覧会を訪れる。そこでジュール・ヴェルヌと出会い、彼を連れて我々の暮らす2000年へとワープする(アトラクション存在当時の「現在」)。

ここで察することが出来るのは、我々にとって当たり前の現代とは、ジュール・ヴェルヌなど一世紀前の人物が頭をひねって夢を思い描いた「未来」なのである。だから、私たちにとっての一世紀次の未来もその当時になれば当たり前の現在となるのである。「未来に不可能はないのさ」とは、ジュール・ベルヌのアトラクション中での台詞である。「私たちの旅はこれでお終いです。然し、皆さんの旅は今、始まったばかりです」とは、アトラクション中でのタイムキーパーの言葉である。私たちのこれから向かう未来は、誰かにとって正に理想郷と成り得る世界であるということに気付かせてくれる言葉である。

遅れてやってきたソアリン

「ソアリン:ファンタスティック・フライト」とは、東京ディズニーシーに2019年設置のソアリンである。初登場はディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーに2001年。

東京ディズニーシーのソアリンの舞台は、1901年のイタリアである。カメリア・ファルコという女性が嘗て仲間と製作していたドリームフライヤーという飛行機に乗車して、空の旅を楽しむが、(他パークのソアリンの舞台設定に即して)、映像は21世紀の現代である。ここで設定矛盾が生じる。東京ディズニーシーからパーク外は見えないのに、現実の世界を旅するのである。

「想像する力さえあれば、何処へでも行ける」というのがカメリア氏の理念であり、ドリームフライヤーにドリームとつく所以である。我々の世界とは、カメリア氏の正に飛びたかった空である。

以下は筆者ツイッターからの引用。

東京ソアリンの舞台が1901年なのに映像は現代のもの。 無論そこには大人の事情もあるのだが、ディズニーシーがひとつの空間として閉じずに、実は私たちの世界と繋がっているんだと感じさせるには大きな演出だと思う。「夢がない」というよりも寧ろ「夢が広がる」感覚だ。

これまで『センター・オブ・ジ・アース』『タワー・オブ・テラー』『レイジング・スピリッツ』などがTDSのいわゆる「閉じた世界観」の筆頭だったのだが、ソアリンは現実世界との繋がりを仄めかす「開いた世界観」だ。 松下幸之助の名前を出したインディジョーンズアドベンチャーにも通ずる点はある。

ちなみに、私がソアリンで泣いたのはこれに起因する。 この演出のせいで(若しくはおかげで)、プレショーで積み上げてきた「飛行博物館」「1901年」「イタリア」をすべて無に帰させるのですが、その閉じた世界の崩壊こそカメリア・ファルコさんの願いであり、イマジネーションであるはずなので。

 夢の世界は此処にある

「ビジョナリアム」「ソアリン:ファンタスティック・フライト」の共通点は、夢の世界として隔絶されたテーマパークで、敢えて現実の世界を登場させることである。このことで、東京ディズニーランドもといシーはあくまで「夢の世界」ではなくて「私たちの世界の延長線上」にあるんだと感じさせることが可能である。これは、東京ディズニーランドを「夢の国」と呼んで半ば面白半分に揶揄するのとは対照的な現象である。ふむふむ。

 

秘密結社「プルス・ウルトラ」とDの意志


【考察】これからのDの意志の話をしよう【やりすぎ都市伝説】

都市伝説として有名な「Dの意志」。そこには無論Walt Disneyも関わってくるのだが、今回は上の動画を参照しながら、ウォルト・ディズニーの動向を追う(動画では最後に数分出てくるのみ)。

さて、ウォルトはこの動画の中でプルス・ウルトラという秘密結社のメンバーである点が挙げられている。プルス・ウルトラとは、未来都市構想を実現するための秘密結社で、二コラ・テスラやトーマス・エジソンジュール・ヴェルヌなどの顔ぶれが揃う。ウォルトは時代的に後の人物だが、Dの意志の中でも異色の活動をしていると言える。

この動画では、「Dの意志とは何か」を「社会のしがらみにとらわれず、純粋に平和を求める意志」だとしている。

 

「ディズニーランドの呪い」

私は「ディズニーランドの呪い」つまり、ディズニーランドがとある呪いにかかっている考えている。

思えば「カリブの海賊」時代、ウォルトは数多くの独創的なアトラクションを作った。それらはほとんどがオリジナルのストーリーを持っていて、テーマパークは映画の再現をするのみならず、物語のイレモノとして機能していた。然し、ウォルト亡き現在、ディズニーランド──とりわけ東京ディズニーランドもといシーは映画やキャラクターに頼るばかりであり、これは言い換えれば、現実世界を舞台としたアトラクションや施設は減りつつあるということなのである。これこそ、「ディズニーランドの呪い」である。

近年のエンターテイメントは変容の一途を辿っている。発信者数の著しい増加の一方で、誰もがエンターテイメントを大量に薄めて楽しむようになってきた。個性が重要視されすぎて、「個性がある」と一緒くたにされる時代である。こうした中で、ディズニーランドにかけられた呪いは、考えず「浴びるエンターテイメント」を創るほど売れるという構造の付与である。東京ディズニーランドを「夢の国」、言わば別世界として受け入れる形を作る。それは私たちとは関係のない世界である──本当は違う! 私たちの世界の延長線上に創られた世界である。それは、「ビジョナリアム」や「ソアリン:ファンタスティック・フライト」が日本に於いても証明している通りである。

映画『トゥモローランド』の中で、ニックスが吐き捨てる言葉がある。彼は今作の黒幕であるが、共感できる言葉を残す。このジレンマはブラッド・バード氏の手腕で生み出された「言葉の映画」としての特徴だが、つまり「人間は地球の危機にも関わらずそれを怖い怖いと怯えるだけで、エンタメとして消費している」のだそうだ。これこそ正にディズニーランドの呪いと同様の現象なのではないか? アトラクション「カリブの海賊」が登場した理由とは、そのアトラクションから歴史を顧みることだったのではないか? 私たちが考えることをやめて、純粋に身に浴びるのは本当に正しいのだろうか? 或いは、それ一辺倒になることで何が生まれるだろうか? その選択によって、あの「トゥモローランド」は滅んだのではないか?

 

ウォルト的「夢が叶う場所」構想

東京ディズニーリゾートのテーマは「夢が叶う場所」である。ウォルトは、昔から、これを創ろうとしていた。「夢が叶う場所」に行けば、どんなことも出来るような気がしてくる。

夢の世界と、私たちの世界は決して隔絶されているのではない。いつでも「夢を見る者」にとっては開かれた場所であり、現実と隣り合っているのだ。Dの意志が導く「金や権力に翻弄されない自由な社会」とは「正に夢の世界」であり、それは純粋な想像力とひとつのきっかけさえあれば、いとも簡単に見つけ出せるのではないだろうか……。