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ディズニーワイド考察「ディズニーランドの『ディズニー』ってどういう意味なの?」

会話の中で、よく「ディズニー行きたいね」という表現を用いることがある。

この「ディズニー」というのは、東京ディズニーランド・シーのことを指している場合が大概である。つまるところ、「東京“ディズニー”ランドに“行きたいね”」ということなのである。

東京ディズニーランド・シーが「ディズニー」という名前で流布している以上、この「ディズニー」とはどういう意味なのかということになる。然し、これがなんとも定義し難いものなのである。

本文では、ディズニーの映画やテーマパークに焦点を当てながら、「ディズニーランドの『ディズニー』」がどのような意味なのか考えて生きたい。

Key Words

TDS「アウト・オブ・シャドウランド」
TDLキャプテンEO
映画『蒸気船ウィリー』
映画『白雪姫』
映画『ファンタジア』
イッツ・ア・スモールワールド

 

「アウト・オブ・シャドウランド」を再考する

アウト・オブ・シャドウランドとは

物語の出発点は「アウト・オブ・シャドウランド」である。東京ディズニーシー15周年の2016年からスタートし、2019年に短い上演期間を終えた、東京ディズニーシーのショーである。密林がテーマのエリア「ロストリバーデルタ」にある「ハンガーステージ」で上演されるミュージカルショーだ。

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このショーの粗筋は以下の通りである。

ジャングル探検隊に所属していた内気な少女メイは、このあたりの森に生息していると噂される伝説の鳥・カゲドリを見つける。カゲドリの導きでメイは、自身の持つ光の力に偶然気付くことになるが、その力でユウと名乗る男を蘇らせる。彼が言うには、メイはシャドウランドという場所に迷い込んでしまった――そこはかつて、命の輝きに溢れた素晴らしい場所だったが、カゲドリが黒い影の手下を率いて現れ、全てを破壊してしまった。メイが持つ光の能力を使えば、シャドウランドを蘇らせることができるかもしれない。その自信がない彼女は、旅の途中で、自身の中にある勇気と向き合っていく。

上の記事では、「アウト・オブ・シャドウランド」の魅力とつまらない点に触れている。

このショーは、有名シンガーソングライターのアンジェラ・アキさんが楽曲を作詞していることでも話題になった。「Jungle Safari(ジャングル・サファリ)」、「Moshikashite(もしかして)」、「Lake of Reflection(きらめきの湖)」、「True Self(本当の自分)」、「Finale(フィナーレ)」などどれも名曲揃いである。

「このプロジェクトに関われたことは奇跡であり、今後自身のミュージカル作品を手掛ける上で一生の財産になりました。総合芸術といえる未体験のショーを、ピュアな気持ちで細胞の隅々まで感じて欲しい」

とは、公式ウェブサイト掲載のアンジェラ・アキさんによるコメント。

また、ステージ全体をプロジェクションマッピングによって演出する、傾斜80度の垂直ステージでのダンスと盛りだくさんの30分だ。

アウト・オブ・シャドウランドはおもしろい?

私がこの記事を書くに至ったきっかけが、以下の記事である。

アウト・オブ・シャドウランドが面白い理由、つまらない理由【ディズニーシー・新ミュージカル】 - アートコンサルタント/ディズニーとミュージカルのニュースサイト

記事では、「アウト・オブ・シャドウランド」について以下のように述べている。

 「もったいない」、という言葉が一番しっくりくると思います。

このショーの問題は、大きく分けて二つあった。

ひとつは、前任のショーのあまりの人気ぶりだ。「アウト・オブ・シャドウランド」の前に公演していたショー「ミスティック・リズム」は、東京ディズニーシーがオープンした2001年から2015年まで公演し続けていた、ロングラン演目である。内容は、火の精霊と水の精霊、大地の精霊と森の精霊が渾然一体となって、「ザ・ミスティック・リズム・オブ・ザ・ジャングル」を奏でるというもの。抽象的な内容ではあるが、水、炎、フラッシュ、スモークを多用した五感に訴える演出と、バンドによる生演奏、ワイヤーを使ったアクションなどが人気だった。上の記事で指摘する通り、「アウト・オブ・シャドウランド」はその後に登場したとあって、出演者の少なさや演出の弱さ、生演奏の廃止、アクションシーンの簡素化、プロジェクション・マッピングに起因する舞台セットの簡素化などが目立ってしまった。

もうひとつは、単体作品としてのクオリティである。前任の「ミスティック・リズム」からの移行で廃止された生演奏に代わって、出演者自身が歌を歌う、俗に「生歌」が導入された。だが、オープン直後の出来映えはミュージカルファンから見れば散々なものだったようだ。ミュージカルショーを目指したつくりにも関わらず、ディズニーパークでのショーということで、上演時間が30分程度に収まっている。「アウト・オブ・シャドウランド」のストーリーを語るにはこの時間は短すぎたように思われ、そのため、展開の唐突さなどが指摘される。更には、引用した記事では内容の単純さが取り沙汰されていて、これを受けてか否か、ショー中の台詞は後に追加・変更されたものがある。

どちらのショーも、ディズニーキャラクターの登場しない人間だけで演出されるショーであった。その点で、東京ディズニーシーらしさに繫がっていたことは高評価であったのだが、どうしてこれほどまでに作品の評価が一変したのだろうか。前任のショー「ミスティック・リズム」と比較すると、ファンの間では評価の低くなりがちなこのショーだが、決して悪いショーというわけではない。引用した記事では、指摘したような幾つかの点でのクオリティの低さを見積もった上で、ディズニーの新たな挑戦にこのような言葉を贈っている。

まず「作品の意義」とは、作品全体が社会に与える影響のことです。

そういう意味では、シーでミュージカルが見られる環境を生み出したことは賞賛するべきだと思います。

(中略)

ああだこうだ言いましたが、30分という短い時間のなかできちんと歌って踊るミュージカル作品を観られる環境を生み出したことは大きな意味を持ちます。

しかも、今やどこの劇場もクレーム等にナーバスになって「未就学児入場不可」が多い。その中で、赤ちゃんにもミュージカルを見せ、聞かせる環境を作ったディズニーはまさに「夢を与える」という理念を現実の世界に、ハンガーステージの舞台上に具現化したのです。

 さて、この記事を受けて私は妙な感覚を覚えた。アンジェラ・アキさんを起用して、新たな演出で新たな挑戦……。

「これ、キャプテンEOでもうやらなかった?」

トゥモローランドの帝王

キャプテンEO」は、東京ディズニーランドにかつて存在した3Dシアター映画である。このアトラクションでは、「スター・ウォーズ」シリーズで映画の歴史に名を遺したジョージ・ルーカス監督と、伝説のミュージシャンことマイケル・ジャクソンが手を組んでいる。

アトラクションの内容は以下の通りだ。

マイケル演じる落ちこぼれ小隊の隊長・キャプテンEOは、仲間と共に、ある国の最高指導者に贈り物を届ける任務を任される。事故などもありながらなんとか到着したその国で、小隊は何者かに捕らわれてしまう。この国は色彩が存在せず、上半身がワイヤーで繫がれた蒼白顔の女王が治める国だった。キャプテンEOは、その国に色を取り戻すため、歌と踊りを女王に贈る。

1987年に東京ディズニーランドに登場したこのアトラクションは正に、「アウト・オブ・シャドウランド」と同様の精神で作られているように思う。「アウト・オブ・シャドウランド」も「キャプテンEO」も、その道のプロと協力して作品を創りあげている。

映画業界では、1950年代と80年代にそれぞれ3D映画ブームがあった。然し、どちらも一過性のものであった。

現在は、3Dを通り越した4D技術の登場などにより「第3次3D映画ブーム」にあると言われ、数年どころか十年以上続いている。これの到来については、3D上映を備えながら全世界最高興行収入を叩き出した『アバター』(2009年)以降のものであった。それまでの約30年間、3D映像という未知の体験を提供し続けてきたのが東京ディズニーランド、ディズニーなのである。『アバター』は、10年後の2019年、『アベンジャーズ/エンドゲーム』に抜かれるまで全世界興行収入では一位を保持し続けた。

ウォルト・ディズニーというキャプテンEO

そうした「未知の体験」を提供するマインド――ディズニーランドの産みの親ことウォルト・ディズニーは端からそうした人物であったことに気付く。

1928年公開の『蒸気船ウィリー』では、世界初の音付き映画「トーキー映画」*1を現出した。その後に登場した作品では、『白雪姫』(米公開1937年)は世界初の長編カラーアニメーションだし、『ファンタジア』(米公開1940年)はサラウンド録音が目新しかった。『ファンタジア』は、サラウンド録音に拘ったためかえって上映できる劇場が限られ、収益的には芳しくなかったとすら言われている。どれだけ先進的試みであったかがわかるエピソードである。

1955年、カリフォルニアにディズニーランドが誕生した後も、ロボットに演技をさせる「オーディオ・アニマトロニクス」技術を発案するなどした。これは、オーディオ(音)とアニメーション(動き)を融合させたエレクトロニクス(電気機械)という意味で、アニメーションの最先端だと豪語していた。その後も、ウォルト・ディズニーは世界の最先端技術を使って新たなエンターテイメントを生み出し続ける。

 

ディズニーランドは「夢の国」ではない

さて、日本の東京ディズニーリゾートが直面している問題として、「夢の国」という考え方がある。これが日本独特の考え方であるということを確認するべく、日本以外の場所にあるディズニーランドと比較してみたい。

カリフォルニアにあるディズニーランドについて紐解いていこう。先ずは「メインストリートU.S.A.」――東京ディズニーランドで「ワールドバザール」とされるエリア――を通る。その後は密林が舞台の「アドベンチャーランド」、西部開拓時代の「フロンティアランド」――東京では「ウエスタンランド」と呼ばれる)、おとぎの国「ファンタジーランド」、そして未来の国「トゥモローランド」を通る。

これらは正しくアメリカの歴史を表現しており、アメリカ人にとっては自国の歴史を追体験することを意味する。

本来、ディズニーランドとは本質的に「アメリカ歴史博物館」の役割を持っており、アトラクション内容もそうした部分が大きい。「トゥモローランド」は、アメリカの宇宙産業とNASAの世界観がモデルになっているし、「フロンティアランド」はゴールドラッシュとフロンティアスピリット、マニフェスト・デスティニーをモチーフとする。

ディズニーランドオープン直後、ウォルト・ディズニーは新しいテーマエリアを着想する。それが「ニューオーリンズ・スクエア」である。これは、嘗てフランス領であったが現在は合衆国に合併されている合衆国の都市「ニューオーリンズ」をモチーフとしている。白人文化と黒人文化が融合し、ニューオーリンズ・ジャズなどが有名。カリブ海に面していて、ここに「カリブの海賊」が建設された。

つまり、そこにディズニーのキャラクターの介在は不要なのである。事実、ウォルト・ディズニーの手掛けたアトラクションの多くは、ディズニー映画と一切関わりのないものである。我々が「ディズニーランド」と聞いて着想する「ホーンテッドマンション」「カリブの海賊」「ビッグサンダー・マウンテン」「イッツ・ア・スモールワールド」「ジャングル・クルーズ」などはどれも、ディズニーキャラクターの登場するものではない。「カリブの海賊」は後に映画化し、そこからキャラクターを逆輸入してきたものであるし、「イッツ・ア・スモールワールド」にキャラクターが導入されたのは2010年代に行われたリニューアルによる。「夢の国」の「夢」とは、「アメリカンドリーム」、アメリカ人が見る理想の国としての「夢の国」であって、決して東京ディズニーリゾートについて用いられるような「異世界」という文脈には置かれていない(少なくともそれが100%ではない)のである。

 

ディズニーランドの真意

ディズニーランドは「ディズニー映画の」ではない

ここでひとつ説明できるのは、「ディズニーランド」の「ディズニー」は「ディズニー映画の」ではないということである。

以前に別の記事で書いたように、ディズニーパークは、パークオリジナルのストーリーで作品を創ることをやめてしまっている。

tamifuru-d777.hatenablog.com

2013年に香港ディズニーランドに登場したアトラクション「ミスティック・マナー」以降、新たに登場した「ディズニー映画を原作にしないアトラクション」は十個あり、そのうち七つは2016年に上海ディズニーランドがオープンするのに際して登場したものである。

現在、ディズニーはピクサー、マーベルスタジオ、スター・ウォーズ20世紀FOXを吸収し強大なエンタメ帝国を築いており、世界のディズニーパークでは「ディズニーの代表」をいとも作ることが出来る。事実、「スター・ウォーズ:ライズ・オブ・ザ・レジスタンス」などのアトラクションは多様な需要にこたえる演出や、歴史の転換点となるような特徴を持ち合わせている。然し、それは「ディズニーのシンボル」に過ぎない。「ディズニーパークのシンボル」となり得る、皆に愛される新たなアトラクションというのは減少傾向にあるのだ。

 ここで述べたとおり、現在のディズニーパークに求められているのは「ディズニー映画のアトラクション」であり、「ディズニーのアトラクション」ではないというわけである。それは言い換えると、「ディズニーランド」の「ディズニー」とは、「ディズニーブランド」の「ディズニー」だということになる。

然し、嘗ての実態はそうではなかったはずである。

イッツ・ア・スモールワールド」は、実はディズニーランドのものではない。
1964年のニューヨーク万国博覧会に於いて、ウォルトは四つのパビリオン(展示)を製作しているが、そのうちのひとつが、「イッツ・ア・スモールワールド」なのである。後にこれがディズニーランドに移設され、ディズニーランドのアトラクションとして定着することになるのだ。このとき、エントランスに掲げられていたのは「ディズニーランド」でなければ「ディズニーキャラクター」でもない。他でもなく「ウォルト・ディズニーがお贈りする『イッツ・ア・スモールワールド』」だったのである。

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引用:Four Disney Exhibits Open at the New York Worlds Fair - D23

このように、ウォルト・ディズニーは新たな物語を次々と生み出し、アトラクション、レストラン、ショップ、テーマエリア、体験価値として提供してきたのである。然し、その根本にあるのはあくまで「ウォルト・ディズニーが贈る」精神であり、ウォルト没後のディズニーパークも「ディズニーが贈る」作品作りを続けてきたのである。

ディズニーパークが提供するものは何か

ディズニーパークは、「ディズニーが贈る」様々な体験で溢れている。

キャプテンEO」について述べたとおり、ディズニーパークは「ディズニーが贈る全く新しい体験」がテーマなのである。この具体例を挙げようと思えば枚挙に暇がない。

東京ディズニーランド・シーには幾つかコース料理のレストランが設置されている。東京ディズニーランドなら、「ワールドバザール」エリアにある「イーストサイド・カフェ」や、「カリブの海賊」冒頭で入り江に浮かぶ「ブルーバイユー・レストラン」、東京ディズニーシーならば「マゼランズ」や「リストランテ・ディ・カナレット」などがある。家族向けに開かれているディズニーパークで、日常的に食べることのないコース料理を堪能できるとなれば、その導入にぴったりだろう。

又、嘗ての東京ディズニーシーの「アウト・オブ・シャドウランド」に並んで、「ビッグバンドビート」はスウィング・ジャズの演目だし、「ザ・ダイヤモンド・ホースシュー」というショーを鑑賞しながら食事の出来るレストランでは「ミッキー&カンパニー」のディナーショーが公園される。こうしたショーも、非日常的であり敷居の高いエンターテイメントの初体験になる。ショーの演目は多岐に渡り、東京ディズニーランドの「スーパー・ダンシン・マニア」では「ダンスクラブ」がテーマで、シンデレラ城前のステージで多くのゲストが踊った。東京ディズニーシーの「ボンファイヤー・ダンス」は、盆踊り(盆・ダンス)と爆発の擬音であるボンが組み合わされた造語で、参加エリアと鑑賞エリアに別れ、実際に踊り明かした。更に、「ケープコッド・ステップアウト」はアイリッシュバンド、「サルサ! サルサ! サルサ!」はラテンミュージックの生演奏が鑑賞できた。

アトラクションについても同様のことが言える。「スペース・マウンテン」と「宇宙旅行」、「海底2万マイル」と「潜水艦乗船」などは、我々の手元にない非日常体験を精巧に再現したものとなっている。

日本に於いてハロウィーンイースターが本格的に知られるようになったのは、東京ディズニーランドスペシャルイベントがきっかけとされる。既に我々の生活に根付きつつあるが、当初はこうしたひとつひとつのイベントに未知との遭遇があった。

ディズニーランドの目的

「アウト・オブ・シャドウランド」で指摘されるとおり、これらはどれも、必ずしも本質を映しているものとは言えないだろう。東京ディズニーランド・シーは併せて年間3000万人が訪れる場所である。或いは、アメリカ合衆国で1948年頃から人気となったファストフードチェーンである「マクドナルド」の次世代型として、オートメーション化された施設の系譜にあるともされる場所である。ある程度の回転率を保って施設を運営するために、切り捨てる本物性があることは否めない。それぞれ本物のレストラン、ダンスクラブ、宇宙船、潜水艦には適わない部分が当然存在する。日本のハロウィーンイースターは往々にしてそのルーツが無視され、商業的契機としての利用価値ばかりが取り沙汰される傾向にあり、東京ディズニーランドもその例に漏れないだろう。

だが、そのためにディズニーパークの役割は入り口に留まっているのだという考え方も出来る。事実、筆者の私が東京ディズニーランド・シーをきっかけとして興味をもったものを列挙すれば、地理、地質、火山、化学、建築、西洋美術、ルネサンス、英語、ラテン語、イタリア語といった学術領域から、クラブ・ダンスミュージック、ミュージカル、アイリッシュケルティック、ジャズ、映画サウンドトラックといった音楽ジャンル、『恋に落ちたシェイクスピア』『サイコ』などのディズニー映画でない映画ジャンル、マーケティングや心理、経済、至っては微細な因果関係を事細かに気にしだすなどといった抽象的範囲に及ぶ。これらは大学受験をするに当たって「生の知識」情報源として活躍している。はたまた、こうした文章を書くきっかけすら与えてくれる。

このように、我々一人ひとりの興味や関心の出発点として、東京ディズニーランド・シーは存在しているのである。

 

ディズニーランドの『ディズニー』ってどういう意味なの?

本文では、僅かな上映期間を終えたショー「アウト・オブ・シャドウランド」を出発点として、「ディズニーランド」の「ディズニー」の意味について考えてきた。

「ディズニーランド」が、人々の興味関心の原点であり、そこで刺激を受けた人々が日常生活の中で才能や実力を発揮したり、努力を積み重ねたりすることによって、そこには「ディズニーがお贈りする」楽しさやわくわくすることが増えていくのである。「ディズニーランド」の「ディズニー」とは、嘗ては「ウォルト・ディズニーがお贈りする」という意味合いを持ち、現在でもその性格として「ディズニーのメンバーがお贈りする」ということを指しているのではないだろうか。

「アウト・オブ・シャドウランド」は、単にディズニーキャラクターの登場しないショーであったことが重要なのではない。ディズニーキャラクターに頼ることなく、生身の人間として、そうしたディズニーパークの精神を提起したことに真価を見出すことができるのである。

2014年から音楽活動を休止し、アメリカ合衆国での二年間の留学を経た復帰作として、アンジェラ・アキさんが満を辞して作詞した「アウト・オブ・シャドウランド」の曲たち。そこには、アンジェラ・アキさん自身の思いだけでなく、ディズニーパークに息づく精神と、我々の進むべき道が示されているように思えて仕方ない。

暗闇の先にあるのは 幾千ものきらめく光

信じて進もう

 

本当の自分が誰なのか

探しに行こう 探しに行こう

恐れないで

 

歩き出そう 歩き出そう

*1:厳密には、「サウンドトラック方式」と呼ばれるトーキー映画として初